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アメリカから世界中のママ達をつなぐ、オンライン子育てサロン

プロフィール

オンライン子育てサロン『ママ達の保健室〜サトコミュニティ〜』を訪問くださり、ありがとうございます。

当サイト管理人で元保健室の先生のエルスタイン諭子こと、さっこと申します。

 

さっこってどんな人?

 

エネルギーが溢れていて、スポンジのように良いことも悪いことも吸収し、凄まじいスピードで成長していく子ども達は、人類の宝物だと思います。

 

戻れるものなら、戻りたい、

宝物として扱われた子ども時代

 

まあ、そんなことは無理だとわかっているので、せめて子ども達と生涯を通じて関わっていけたら。。。と思っている、アメリカ在住、子どもが大好きな一児のママです。

 

日本に住んでいた頃は、保健室の先生として小・中学校で10年間、働いていました。

 

ご縁があって、アメリカに移り住んだのが、8年前。それからは、息子が生まれる前日までの約7年間ベビーシッターとして働いていました。

 

そして、その経験と知識を活かして、今は、オンライン子育てサロン『在米ママ達の保健室〜サトコミュニティ〜』を運営しています。

 

夢は、世界中にいるママ達の応援団長になること。

 

さらに言えば、一人で子育てに悩むママ達が世界中からいなくなること!

 

それが、私の使命だと思っています。

さっこ

 

 

こんな人生を歩んできました

 

小学3年生

どちらかといえば大人しく注目をされた経験があまりない子どもでした。

 

ある日、昼休みに鉄棒から落ちました。

 

コウモリという技(膝裏を鉄網に引っ掛けてぶら下がる、あの技です。)をやっていた時に、顔からドサッと落ちたのです。

 

高学年のお姉さんに連れられて、保健室というところに検診以外で初めて行きました。

 

保健室の先生に優しく手当てをしてもらい、お礼を述べて教室に戻りました。

 

その日の帰りの会での出来事です。担任の先生がこんなことを言いました。

 

「保健室の先生が、さとこさんのことを大変褒めていました。さとこさんは、保健室でケガの手当てをしてもらった際、きちんとお礼が言えて、とてもえらかったですと。」

 

多分これが、人前で初めて褒められた経験でした。

 

よいところを見つけて褒めてくれた保健室の先生。

 

一人一人をちゃんと見てくれる保健室の先生。

 

そこから、保健室の先生が大好きになりました。

 

高校生3年生

進路はもうず〜っと前から決まっていました。

 

小学校でお世話になった保健室の先生のような保健室の先生になろうと、ず〜っと思っていました。

 

家の経済状況と私の成績を考えた時、進路先は二択しかありませんでしたが、どちらに進んでも、親元から巣立つことができる喜びにあふれていました。

 

そんな私は、北海道の短期大学を選び、保健室の先生になる資格を取ろうと決めました。

 

就職

初めて就職したところは幼稚園に併設されたスポーツ教室でした。

 

保健室の先生ではなく、産休代理のスポーツ指導員として採用されました。

 

3歳〜12歳の子ども達と一緒に、毎日、プールに入ったり、サッカーボールを蹴ったり、鉄棒やマット運動などの器械体操を教えたりしていました。

 

更に、夏にはキャンプ、冬にはスキー教室と年から年中、忙しく動き回っていた記憶があります。

 

一年後、産休を取っていた方がそのまま退職されるということで、正規雇用のお話をいただきましたが、『一年経ったら、地元に帰って保健室の先生になる。』と決めていましたので、予定通り、地元に戻りました。

 

保健室の先生として働く

念願の保健室の先生として働く日がやってきました。

 

初任校は、全校児童70名くらいの小さな小学校でした。

 

この小学校は、私が勤務する数年前から健康教育推進学校の指定を受けており、裸足教育や青竹運動などユニークな取り組みが行われていました。思い返せば、前任者の計画をそのまま引き継いで継続しただけで、オリジナルの保健指導は、何もできなかったな〜って反省です。

 

 

最後に勤務した小学校では、こんなことがありました。

 

ある日、4年生の子ども達が全員揃って腹痛や頭痛を訴え、保健室に毎日来るようになったのです。全員と言っても4名なのですが。確か、一週間弱続いたと思います。

 

原因は、そのうちの一人が転校することでした。

 

この4人は、保育園時代から、ず〜っと一緒に育ってきていて、兄妹のような関係だったのかもしれません。転校の話は、突然のことだったので、ショックでショックで気持ちが追いつかず、体調が悪くなったんだと思いました。

 

このような状況では、話を聞いてあげることしかできません。担任の先生やおうちの方ともお話し、彼らを時間が癒してくれるのを待ちました。

 

保健室の先生としては、話を聞くことしかできない場面が多々あります。

 

しかし、私は思うのです。彼らの思いを受け止める存在に意味があると。

 

ですから、保健室の先生をしていた時は、児童生徒からよくこんなことを言われました。

 

『保健室の先生って暇じゃない?』

 

暇でいいんです。厳密には、暇に見えることがいいんです。

 

暇に見えないと必要としてくれる子が現れた時、対応できないじゃないですか。

 

だから、暇に見えていいんです。

 

書くとびっくりするのですが、かれこれ10年間も保健室の先生として働きました。社会人として成長する過程で悩むこともありましたし、様々な問題を抱えている子ども達にも会いました。

 

この10年間、私ができる精一杯のことをやってきたつもりではいますが、どれだけ、力になることができたのか、わかりません。

 

関わった子ども達が、今、幸せに暮らしていればいいな〜と心底思います。

 

運命の出会い、国際結婚、そして渡米

2005年、英語の指導助手として来日した旦那くんに出会いました。当時、お世話になっていた中学校にやってきたからです。

 

旦那くんの日本語がかなり上達した2007年、「時間が合えば、一緒にスノーボードに行きませんか。」と職場で話したことがきっかけで、あれよあれよと交際に発展。

 

2010年。結婚に伴い、旦那くんの希望に沿う形で渡米

 

渡米後、アメリカの保健室の先生は応急処置しかしない看護師さんだと知り、他の仕事を考えることにしました。当時、私は、英語が喋れないばかりか、ネイティブスピーカーの英語が全く聞き取れませんでした。

 

そんな私だったのですが、子どもに関わる仕事という部分は妥協できず、一生懸命考えた結果、日本語を教えるベビーシッターをしようと思いつきました。

 

幸運なことに、結構すぐにお仕事の話をいただきました。母親が日系アメリカ人で、日本語でベビーシッターをしてほしいという家族からです。

 

元気いっぱいの4歳の男の子。日本語が理解できない時は、英語を混ぜながら一緒に過ごしました。遊びを通して、楽しく日本語を学んで欲しいという思いから、たくさんゲームを考えました。また、階段は、数を数えながら上り下りしましたし、幼稚園勤務時代に覚えた手遊び歌もすごく活躍しました。

 

で、思ったのは、国が違っても子どもは子ども。エネルギーが溢れていて、スポンジのように良いことも悪いことも吸収し、凄まじいスピードで成長していく、その時代を一緒に過ごせることが、私にとってどんなに幸せなことか。

 

彼が学校に入学するのをきっかけに、次のベビーシッター先を探しました。

 

またすぐ、友だちを通して仕事の依頼がありました。今度は、「幼児教育にいいから、どんどん日本語を使って。」という家族でした。両親とのコミュニケーションは、英語でしたが、なんとかなるレベルまで私の英語力も成長していました。

 

乳幼児のベビーシッター経験は、妹が里帰り出産をしていた時にお手伝いしていた程度。ですから、この家族の新ママ・新パパと共に、赤ちゃんについて悩み、考え、一緒に成長できた経験だったと思っています。

 

 

この家族からは、スリープトレーニングをする親の辛い気持ちも学びました。スリープトレーニング開始間もない頃は、クリブの中で大声で泣く赤ちゃんの声を聞くのが、辛くて辛くて。。。赤ちゃんの泣き声を聞きながら、ママと一緒に泣いたこともありました。

 

しかし、これも慣れですね。乳幼児との経験を重ねることで、泣き方に違いがあるのがわかってくるのです。

 

ですから、息子のスリープトレーニングは、とてもスムーズに進みました。

 

この家族のベビーシッターは、赤ちゃんが6週目の時に始めたのですが、生後3ヶ月を過ぎるまでは、ママが精神的に不安定で、たくさん、たくさん、たくさん、話をしました。この時、思ったのです。ママの思いを受け止める存在って重要だな〜って。

 

ありがたいことに、ベビーシッターのお仕事は、息子が生まれる前日までの約7年間、ほぼ途切れることなく続きました。日本で保健室の先生を10年間やっていたという経験が安心感を与え、需要につながったようです。

 

パートタイムで出会った子ども達も含めると、この約7年間で11人の子ども達から貴重な経験をさせていただき、たくさん学ばさせてもらいました。

 

2012年 まさかの乳がん発見

この1年前、2011年に母が乳がんになりました。その頃から、自分はハイリスクなんだと自覚し、定期的に自己検診を行うようになりました。

 

12月のある日、『しばらく自己検診していなかったなぁ』と思い、シャワーを浴びながら触診をしたところ、『あれ!? なんか感じる。。。』

 

母の時に学んだ知識と周りのサポートのおかげで、あれから5年以上。まだ治療中ですが、病気を発見する前よりも前向きに生きています。

 

受精卵凍結

乳がんの治療過程で、抗がん剤を投与しました。正常な細胞までも攻撃する抗がん剤は、卵巣へも強い影響力があります。

 

当時34歳だった私には、私たち夫婦に子どもがいる将来を諦めることはできませんでした。

 

抗がん剤で腫瘍を小さくしてから手術をするという医者の提案を退け、まず手術を行うことを希望しました。

 

なぜなら、私は時間が欲しかったのです。私たち夫婦の受精卵を作る時間が。

 

手術を最初に行ったおかげで、抗がん剤を始めるまでの猶予ができました。

 

幸運にもその時間を使って受精卵を凍結することができました。

 

私たちに子どもがいる未来ができたのです。

 

2015年 代理母出産という選択肢

治療が終わる目処が立たない中、義理の両親から金銭的援助の申し出がありました。

 

そう、代理母出産という選択肢ができたのです。

 

冷凍庫(家庭用ではなく、医療用ですよ。)の中で待っている子ども達に、もうすぐ会えるかもしれないという希望の光が射した時でした。

 

アメリカ国内でも賛否両論があるこの代理母出産という選択肢。私が住む州では、代理母出産に対して比較的法の整備が進んでいます。

 

2016年。本当に本当に幸運なことに、近場で私たちに協力してくださる方と出会うことができ、代理母出産に踏み切ることができました。

 

この時ほど、アメリカで暮らすメリットを感じたことはありません。

 

2017年 待望の長男誕生

 

日に日に愛情が増し、食べちゃいたいくらい愛おしいです。

 

どんなことがあっても守りたい存在ができ、人生に重みが増しました。

 

ベビーシッターとしての経験や保健室の先生時代の知識を活かすことができる子育ては、考えさせられることもたくさんありますが、とても楽しいです。

 

旦那くんも日々学び、とてもいい父親業をやっています。

 

2018年 自分の経験を活かそうと思い立つ

最高の理解者である旦那くんと周りの手厚いサポートのおかげで、いくつものターニングポイントを乗り越えて来ました

 

今度は、私が誰かを支える番です。

 

こんな方はいらっしゃいませんか?

 子育て情報が欲しい

 言葉の壁から、うまく悩みを共有できず、孤独に子育てを頑張っている

 パートナーとうまく子育て分担ができず、子育てを一人で頑張りすぎている

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サトコミュニティに参加すれば、

もう一人じゃありません。

知ることで不安解消!

繋がることでパワーアップ!!

学ぶことで育児の幅が広がる!!!

さっこ

 

 

この保健室から帰る時

 

一人でも多くの悩めるママが、スッキリとした気持ちで、子育てに向き合えるようになっていたら、これ以上の喜びはありません。

 

一人で子育てに悩むママ達が世界中からいなくなること!

 

これは、『ママ達の保健室〜サトコミュニティ〜』の最終ゴールであり、コンセプトです。ですから、この保健室のドアはいつも空いています。いつでもノックしてください

 

『ママ達の保健室〜サトコミュニティ〜』を通じて、共に学び合い、認め合い、相談し合いましょう。そして、気持ちの切り替えて、『また頑張ろう!』という自分を取り戻してください。

 

最後まで、この長いプロフィールを読んでくださりありがとうございました。

ママ達の思いを受け止める存在がここにいることを忘れないでください。

一人で子育てに悩むママ達が世界中からいなくなりますように。。。

さっこ

 

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サトコミュニティでは、

ママ達を少しだけ元気にする活動をしています。

仲間同士がつながる、イベントも続々開催中!

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勇気を出して、自分の弱さをさらけ出したら、

最高の仲間に巡り会えました♡

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